「いつもよりうまい。味がいい。いつも食べているやつよりも風味がある」
二人はさらに笑顔をつくった。ロッソフが言った。「野菜は八○年代には化学肥料や殺虫剤を使わず、また植える前に特別な処置も受けないで育てられていたんだ。防腐剤も、添加物もなかった。」コックが言った。「そして、ボイルした水は、塩素入りでなかった。」
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これは、懐古主義の精緻な描写で知られたアメリカの作家ジャック・フィニイ(Jack Finney、1911-1995)のSF作品「Time and Again(1970)」の中の一場面(出典:「ふりだしに戻る」福島正実訳、角川書店、昭和48年7月15日 初版)。主人公のサイモンは、ニューヨークで平凡な毎日を過ごすデザイナー。ある日ひょんなことから、タイムトラベルを目論む政府のプロジェクトのメンバーに抜擢され、そのためのトレーニングとしてほぼ100年前の1880年のニューヨークを細部にわたるまで再現した空間のなかで、生活をはじめることになります。ここで紹介したのは、想定される過去時代の食事のトレーニング中にプロジェクトの政府側担当者「ロッソフ」と主人公サイモンの間でかわされた会話。小説のなかの台詞ではあるものの、この小説が書かれた今からおよそ30年以上も前の1970年代にもすでに、化学肥料や殺虫剤を使うことで、野菜の風味が落ちるのではないかという視点があったことがわかります。そこで、今回は野菜の硝酸イオンとも大いに関係のあると考えられる「化学肥料のこれまで」を大まか振り返ってみたいと思います。
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(1840年 植物の無機栄養説の提唱)
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ドイツ人のユスタフ・フォン・リービヒ(Justus von Liebig)は、植物は、空気中の二酸化炭素から「炭素」を、土壌中から「窒素」や「リン」などを吸収し、それをもとにからだを構成する有機物質を光合成によって作り出していると提唱し、実験でそれを証明しました(『有機化学の農業および生理学への応用(Die organische Chemie in ihrer Anwendung auf der Agrikultur und Physiologie)』)。それまで、アリストテレス以来信じられてきた腐植説(植物は死んでしまうと腐植となり、土壌に含まれる腐植が生きている植物の栄養の源となるという考え方)がこれを機に大きく方向転換することになります。この考え方が基礎となって、化学肥料が生まれることになったので、リービヒは「化学肥料の父」とも呼ばれています。
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(1843年 過リン酸石灰の生産開始)
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ドイツでリービヒが無機栄養説を提唱した同じ頃、イギリスでもギルバート (Joseph Henry Gilbert) とローズ (John Bennet Lawes)が、同じように植物の生育には無機物質が欠かせないことを実証しました。さらにローズはリン鉱石に硫酸に加える肥料工場を建設して、工業的に過リン酸石灰の生産を始めました。
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(1913年 アンモニア合成の成功)
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ドイツのフリッツ・ハーバー(Fritz Haber)とカール・ボッシュ(Carl Bosch)によって、空気中の窒素と酸素からアンモニアを工業的に合成する方法が開発されました。それまでは自然界に存在する硝石などの窒素肥料が使われていましたが、この方法が開発されたことで、窒素肥料を工業的に生産することができるようになったのです。これにより小麦の栽培に適さないやせた土地を改良し、食糧供給を増やすことができるようになり、このことが以降の人口増加に大きく貢献しました。
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(日本での化学肥料の普及)
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日本の農学発祥といわれる駒場農学校が開校したのが1874(明治11)年。明治14(1881)年にはドイツ人オスカル・ケルネル(Oskar Kellner)が、農芸化学の外人教師としてドイツより着任しました。それまで、人糞、堆肥などの有機肥料しか使わなかった日本の農業に化学肥料を用いる近代的な土壌肥料学を紹介しました。
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また、タカジアスターゼやアドレナリンの発見などの功績を残した高峰譲吉も、化学肥料の普及に強いかかわりのある人です。大学卒業後農商務省からイギリスへ留学し、化学製造所で過リン酸肥料の製造を見学した高峰は、その後、1884(明治17)年に米国ニューオリンズで行われていた万国博覧会で、過リン酸石灰とりん鉱石を購入し日本に持ち帰ります。当時の実業家に渋沢栄一に日本における化学肥料生産の重要性を説き、その協力を得て、1887(明治20)年東京人造肥料会社が設立されました。
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こうして、生産販売された化学肥料も、人糞と堆肥がほとんどで、まれに油粕やニシン粕を使うような農家がほとんどだった当時には、化学肥料はあまり受け入れられず、この会社の収支が合うまでには数年かかったようです。日清戦争(1894<明治27>~1895<明治28>年)前後から需要が急増しはじめます。本格的に日本に化学肥料が広まったのは、このころといえるでしょう。
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(参考資料)
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ウィキペディア フリー百科事典「過リン酸石灰」
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href=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8E%E3%83%AA%E3%83%B3%E9%85%B8%E7%9F%B3%E7%81%B0/a>
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財団法人渋沢栄一記念財団 実業史研究情報センター
href=http://www.shibusawa.or.jp/center/shashi/shasi_ta.html/a>
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